鳳栖山 文裁寺

文裁寺は、良寛さんでおなじみの曹洞宗のお寺です。

(注:アニメで有名な一休さんは臨済宗です。)


曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。

曹洞宗 SOTOZEN-NET 宗旨より]


本尊: 十一面観世音菩薩、月光菩薩、日光菩薩

みどころ: 牡丹・芍薬、蓮・睡蓮、銀木犀

 

文裁寺縁起

天慶五年(一六〇二)高山城主 天野能久建立、
院殿戒名  鳳栖院殿前築洲太守文裁道周と呼べリ、その後、和智築前時實が又、修理せり。

里人相伝へて此の寺は、もと曽我兄弟の為に尼僧となり、西国へと供養した、虎御前と少将御前両尼の開基する所なり。
寺に古笈二基有り(現在、大田庄歴史館展示)両尼の遺物なり、又擦り袈裟木版があり、お袈裟の功徳と曽我兄弟にまつわる物語が彫られている木版である。

当山のご本尊は、虎御前、少将御前の負い来たれるものなりと伝う。

 


赤屋村(近世)

江戸期~明治22年の村名。
世羅郡のうち。
広島藩領。明知。

地詰は正保3年。村高は元和5年「知行帳」では「あかや村」と見え558石余,「芸藩通志」689石余,「天保郷帳」687石余,「旧高旧領」689石余。

万延元年の高32石余。
文政3年には田49町余・畑26町余・屋敷地4反余,戸数96・人数439,牛65・馬13,定物成440石余・小物成127匁余・竹代銀13匁余を納める。
また社倉穀として麦21石余・籾23石余を保有(世羅郡誌)。

生業は農業が主で,正行池に源を発する赤屋川から取水。
地内を幅7尺の石州街道が通る。享保3年には一揆が起きている。
赤屋八幡神社には文久3年の奉納句額があり,俳諧が広く普及していた。
この八幡神社は妙見の地にあったが,元和2年現在地に移転。

曹洞宗総持寺末鳳栖山文裁寺は天慶5年の開基と伝えているが,「芸藩通志」では高山城主天野能久としている。
明治4年広島県に所属。同7年矢吹宅を校舎に智格舎を置き,同11年中村宅,同13年文裁寺に移す。

明治9年の田75町余・畑16町余・屋敷地4町余(反別控帳)。同21年の戸数107・人口573。同22年東村の大字となる。


(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7420501