■仏像拝観について
■国重文 木造十一面観音像 一躯 昭和十九年九月五日指定(文裁寺所蔵)
平安初期のもので旧報恩寺に安置されていた。像高1.47m、カヤ材の一木造りで蓮肉まで共木で彫り出している。
彩色は殆ど落ちているが、重厚で量塊性に富んだ像で、裳に飜波式衣文が残り、天衣に旋転文が彫り出された県内でも数少ない貞観彫刻である。
■国重文 木造聖観音立像 一躯 昭和十九年九月五日指定(文裁寺所蔵)
像高1.36m桧材の寄木造り。切り付け蓮座で優麗温雅な平安中期(藤原時代)の作である。
■町重文 木造四天王立像 二躯 昭和五十九年五月十五日指定(文裁寺所蔵)
報恩寺には国重文の十一面観音立像及び聖観音立像が伝来しているが、この四天王も本尊の守護神として戒壇を守っていたものであろう。両像とも両腕を欠失し、虫害や風雨でかなり痛んでいるが、ゆったりとした体躯で平安時代の特徴を残している。

境内に点在する史跡の数々
■観音堂
高野山文書の中に報恩寺の名が記されており、今から約1400年前に建立されたと伝えられています。備後大田庄においては重要な寺院であり、今高野山とも深い関係があったことは上記の優れた仏像が二体あることでも伺えます。
■乳石
境内には、高さ60㎝位で、五輪燈に似た石があり、中程の石の上に小さなくぼみがあり、重い乳の形をした石がのせてあります。
観音様に祈願し、乳石のくぼみの露滴を飲むと、乳の出が良くなると言われています。観音堂にはお礼参りで持参した、乳型や赤ちゃんの産着などが奉納されています。
■灰塚古墳群
「灰塚」というのは、昔報恩寺が火災に遭い、灰を集めて築いたという伝説からきています。古墳時代の円墳で手前のは直径20m、向側のは、直径18mで町内の古墳の中では大型に属します。なお、この山の尾根には10基ばかりの円墳があります。